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ワールドラインドフリーダム
無題 - ワールドラインドフリーダム
2025/07/08 (Tue) 20:43:25
現在は2025年のですね えっと 7月8日の火曜日であります 新しいキャラクター 新しい世代は何を考えてるかなんですが リベラリズムということもあります この混乱していきます 昔の話なんですが 英語は自由を意味する言葉 フリーダムの2つがあります 前は自立 責任を伴う自由とされます フリーダムは好き勝手であるとか自由奔放 制限なき自由のニュアンスで使ってやりたい放題 みたいな制度的な自由 を論じる 政治思想としては自由主義というのは リバティ を 語源とするリベラル リベラリズムという風に言われているわけです 一般にはリベラルと呼ばれますところが ややこしいのは第二次世界大戦の後なんですが リベラリズムというものとデモクラシー つまり 自由主義と民主制というのを合体させた政治体制 リベラルデモクラシー というものが近代国家の中心 中学になっていくと 自由 以外の様々な価値が そこに勝手に付け加えられるようになりました といえば福祉と人権を尊重して平等な社会を目指す運動 これを言います リベラを自称する人というのは国民からですね 税金を徴収いたしまして それを貧しい人たちに 再配分することを当然と考えましてで競争力のない産業 本をしてライフライン これ電力 水道 ガスこれ 生活に不可欠な公共財 を国家から提供することを求めるでこれは大きな政府派と言われてる考え方ですね これに対して国家 個人の私的な領域に介入することを自由の抑圧だとして嫌う人たちがいます 第二次世界大戦の後で 自由主義的な経済学者 これは旧ソ連とか 毛沢東時代の中国のように経済を国家が中央集権的に統制するのではなくて ですね 11話 と法人の創意工夫に任すのはずっとうまくいくと 唱 えて国家による市場の統制を正当化しているというケインズ経済学というものを批判していったわけです これは小さな政府派ですね この辺はまあ高校ぐらいで並ぶと思います 1960年代以降ですが 欧米食後のイデオロギ 闘争で主導権にいたのは大きな政府でした リベラルを自称する彼らというのは小さな政府派に星とか右翼のレトロを貼って攻撃をしていったわけですわ 当時 リベラルの主要な敵というものが 民族の歴史とか伝統に基づく権威主義的な政治体制を支持する勢力 右派だったからです ぬくもりのある社会を守るためには自由とか 人権を一定程度制限することは許容されるという風に主張します これに対して経済的な自由主義者は市場からの国家の介入を排除してで自由な経済活動による伝統だとか監修の創造的破壊 というものを目指しているわけです 両者の経済政策ってのは何ですが どっちも リベラルの敵だという理由で星という 曖昧なカテゴリに作られてしております 政治的思想の混乱というものは リベラルに送る この不幸な感じがまた 意図的なレトロール こっから始まっています この傾向は特に顕著です リバタリアに住むというのは 全く理解されないというのは 戦後民主主義を擁護するメディアとか知識人が全部をリベラル 全体 保守 開く この善悪 人間ので説明しようとしたからです 争い ということを考えます リベラルの陰謀 とやらに沿って イニスはの星のレッテルを貼られてしまった小さな政府派の経済学者というのは リベラリズムをですね 詐称する つまり 騙す 大きな政府派と区別するために 古典的自由主義者という国 まあ言うようになります 以来の伝統に連なる正統派 って言うんです これ 元祖 書けるかな ということで リバタリアニズムという自由 原理主義 リバタリアン こういう 造語を作っていたわけです そしてリベラルとリバタリアン 本物の自由 リバティ にふさわしいかを巡る骨肉の戦いが始まってしまったわけです 2つの政治思想というものが自由という指輪を奪い合う なんか踏みにじるような人 意味 を書き換える人たちがいるのも現実です あの 結局ね自由に人生を選択して自己実現できる 自分らしく生きられる社会を目指すべきだと これ誰も一部の宗教原理主義者とかを除けば誰も反対しません 異論がないっていうのはこの命題は正しいからではありません リベラルな社会において自己実現 私らしく生きるが全ての前提になってるからです 人生論じるで私は人間であるという前提 まあこれ 近代 イデオロギーですが ここから出発しかないのと同じに近代というですね 枠組み パラダイムが変わらない限り自由と自分らしさ の価値を否定することはそもそもできません あの例えば自然権としての人権を前提とすれば リバタリアンというのはこの言葉で言われる言い方になります それは何かと言えば人は自由に生きるのが 素晴らしいです これは リバータリアニズムなのかな これに対してリベラリズムは何かというと若干 修正します 人は自由に生きるのは素晴らしい しかし 平等も大事だとして共同体というのはあります コミュニタ リディアコミュニズムの数 否定してませんが 彼らはこう言います人は 自由が自由に生きるのは素晴らしい しかし 伝統も大事だなんだか変わっていくわけです じゃあ 説明できています アメリカの共和党と民主党 というの典型 なんですが 2大政党の政治的対立というのは自由をどのように修正するかしないかというアイデンティティ 闘争になっていますで このことから 自己責任の論理というのは探すほど嫌われてるこの リバタリアの主張を批判するというのが 実は 困難だということ リバタリアニズムというのは 純化されすぎた自由主義 なんで ご主人 これは伝統 伝統 進化 伝統 重視 やリベラリストの価値というものを否定することは不可能だからです つまり このリバータリアン リバタリアニズムと言われているような人たちを ロジックとして 論理として攻撃することはかなり困難な できないとは言わんけどやっぱり相当困難なわけです なぜならば 自由は楽しいということに対して彼らもそれを持ってるわけですからね 難しいですね はい よろしくごきげんよう